ETV特集『日韓交流2000年』見る

 正月辺りに一挙再放送していたのをHDDに突っ込んでいたので、ヘヴィに、ヘヴィに……あーちくしょー!

 ……ブチギレて申し訳ない。
 いやいや、この番組、意外と長いのよ。
 一本90分で、正月の再放送では、なんと6本もある。大学の講義換算で1,5か月分。
 単位とか学士号とか世俗的な欲求を無視すれば、がっちり知識を身に付けてくれる番組に感謝すべきだとは思う。
 だが、現実的な問題としてただのNHKスペシャルの倍と言うボリュームに尻込みしてしまう物があるのも事実だ。
 仕事から帰って、夕食をぱくつきながら見たりする私の視聴スタイルとはなかなか相容れるものではない。
 んなわけで、ヘヴィに見ているつもりだけど、今やっと第3回を20分くらい見終わりました。

 愚痴りはさておき、そこまでして見る甲斐はやはりある。
 一つは古代史のおさらいですね。
 古代日本の文明の進歩は、大陸との交流なしにはありえないもののため、日韓交流史の研究により見えてくる像がはっきり捉えられる。ここで面白かったのは、朝鮮半島から日本へ移住する人がいただけではなく、朝鮮半島側の発掘調査により、南端で出土された人骨の幾つかが縄文人の形質と抜歯というこれまた縄文人の習俗を持っていた事が明らかにされたこと。
 海を渡ったのは、大陸側だけではなかったのだ。

 次に面白かったのは、任那日本府の存在。
 日本書紀には、倭(当時の日本)が朝鮮半島任那支配下に置いていた事が記述されていたが、当時のカヤ(任那)の遺構を調査すると豊富な鉄器が発見され、技術力において倭を上回っていた事が分かった。
 任那をただ単に倭の植民地と位置付けるには無理があるらしいのだ。
 ここら辺は、日韓共同研究ということもあるし、反論が予想されるところであり、即時で我々の歴史認識が切り替わる事はあるまい。

 すぐに教科書が書き換えられそうな事実も発表された。
 日本の仏教伝来は、538年説・552年説と2説あったが、韓国側の調査から後者であると事が判明した。

 私が番組中で注目したのは、日本に来たこの仏教の来歴である。
 この当時、百済は北方の高句麗、東方の新羅の脅威に晒されていた。なにしろ武寧王の時代には百済の首都を高句麗により奪われているし、息子の聖明王は日本に仏教を伝えたものの、戦で命を落としている。
 日本に仏教を伝えたのは、この危機の折りに国交を強化しようという目的があった。

 だから、この当時の百済の仏教の目的は、外敵から国を守り、国家の安寧を計る鎮護国家なのだ。
 日本に伝来してからしばらく仏教は鎮護国家が主流であり、民衆の救済は二の次とされてきたのだけど、言わば戦時仏教とでも名付けるべき来歴を持つ百済からの渡来仏教に由来するのではないか、とも思う。
 百済に伝わる前の中国南朝では、或いは日本に伝わらなかった百済の仏教では、民衆の救済とかはどのくらい重視されていたのか。
 なんとはなしに気になるのである。

 歴史にIFは禁物であるが、それはIFを望む気持ちこそが、歴史を調べる原動力になるからだ。
 その気持ちが、歴史観に目を眩ませ、事実を取り違えるのだ。
 事実に向き合うためには、学んだ事を振り返り、目から鱗を落とし、常に己を疑う事が必要である。
 そのためにもしばしこの番組とは付き合いたい。