プロバビリティ・ムーンは今一つ

ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』早川書房

 ひーひー唸って最終章の一歩手前まで読んだけれど、どうもついていけなくて読めなくなった。

 遥か未来、宇宙に進出した人類は、自分たちと同じようなホモ・サピエンス種族に多数出会う。
 どの種族も地球人類よりも文明は遅れていた。一つの例外を除いて。
 フォーラー。同じホモ・サピエンスでありながら好戦的な彼らは地球人類に戦いを挑み、圧倒的なテクノロジーをもって圧倒した。
 戦いに勝つために血眼になった人類は、とある惑星の衛星に偽装した謎のオーパーツを見つける。
 エネルギーを与えた間だけ周囲の物質を放射性物質に変えるオーパーツを極秘に手に入れるため、惑星の学術調査を名目に軍は巡航艦を惑星に派遣する――。

 ここら辺のハードな設定を生かして自分たちよりもテクノロジーに勝る宇宙人に対してオーパーツを駆使して戦う物語ならば良かったのだけど、物語は別の方向に転がりだす。

 物語で主に描かれるのは、学術調査団と惑星の住民の交流。ホモ・サピエンスと同族の彼らは花を愛する文化を持ち――共有現実という概念を持っていた。
 ……ここら辺で限界。
 惑星の住民達が愛する、美しい秩序で作られたファンタジー世界風の惑星描写はどうも私と相性が悪いし、共有現実という概念がどうも集団や共同体の持っている“空気”のようであり、それを大切に思う惑星の住民と学者達の描写がどうもむずがゆい。
 綺麗な夢物語と言うとそういうわけではなく、惑星の上にもがめつい商人はいるし、青臭い青年の身勝手な片思い、増長振りなどは本当に生臭くて、他人事とは思えない。

 うーん、ただ何と言うか、作者が見せようとしているユートピアディストピアの見せ方が私の人生で結論が付いていないだけに、最後まで読み終われなかった。
 期待していたエンターテインメントの方向性ではなく、それを補えるものがないと感じた所もある。
 フォーラーの戦闘機が巡航艦のレーザーを非実在化して無効にするとかいうスゴイ設定とかは好きだったりするんだが。
 ううむ、惜しい。