『蝉しぐれ』の父と子


【はじめに】
 たそがれ清兵衛小川の辺藤沢周平作品の映画を観て、かなり自分に合っているのではないかと確信を得たわたくし。
 次なる鑑賞先は、名作との評価も高いし、少年時代も描写される『蝉しぐれ』としたぞ。


【物語】
 海坂藩の武士である普請組の牧助左衛門の息子・牧文四郎は、逸平と与之助という親友に恵まれ、隣の家の小柳ふくに淡い思いを抱いていた。
 文四郎の家族は父と母だったが、彼は父をとても尊敬していた。
 台風の夜、緊急の治水工事に志願した文四郎は、父が田と農民を守るため、川の水を逃がすための堤防の切開の場所を変えるように上申し、村人をとりまとめる姿を目にするのだった。

 いつもの道場の帰り道、逸平と一緒だった文四郎は槍を持った役人たちが城下を駆け回る姿を目撃する。
 帰宅した文四郎は、ふくの父小柳から、父がとらえられた事を知らされる。
 海坂藩では世継ぎを誰にするかで派閥抗争があり、父はその争いに関わっていたというのだ。
 処分の前に目通りのかなった父に真相を聞くが、父はなにも語らず、ただ己が義のために働いたこと、文四郎は父を恥じてはならぬと言い残し、翌日に切腹をさせられる。
 作法に反して真夏の昼間に父の遺体を引き渡された文四郎は、町中で罵声を浴びせられながら大八車を牽いて進んだ。
 家の前の坂道で遺体の重さに滑り落ちかけた時は、ふくに助けられながら。

 母とともに貧乏長屋に押し込まれた文四郎は、程なくして事の真相を知る。
 父はお家の転覆など考えておらず、上司との関係から敗れた側についていたというのだ。
 勝者は当時の次席家老の里村左内。里村は助左衛門たちに腹を切らせ、今は主席家老の地位に上り詰めたという。

 やるせない思いを剣にぶつける文四郎は、奥勤めのため江戸へと旅立つふくとのすれ違いを経て、御前試合に出るまでに成長する。
 文四郎はある日、里村から呼び出しを受ける。
 家禄を減じられ、仕事もなかった牧家を旧禄に復し、郡方見回り役の職を与えるというのだ。
 意外な処遇に驚きながらも文四郎は、挨拶のため、元の住まいを訪ねると、意外な結果が待っていた。
 ふくは奥勤めで殿様の手がつき、貧しかった実家は出世を果たしていた。
 ふくは届かない場所に行ったのだと実感する文四郎に、与之助は、その子が殿の正妻の企てにより流産させられた事を知らされるのだった。

 郡方見回り役のとしての文四郎の仕事は順調だった。父の弟弟子だった上司の青木は彼を評価し、父によく似ていると言ってくれた。また、青木の引き合わせで、父の助命嘆願をしてくれたという村役人の藤次郎とも巡り会うのだった。

 ある日、文四郎は与之助からふくに関する続報を聞かされる。
 再び子を身ごもった彼女は、正妻の手が届かない海坂へ殿によって極秘に送り返されたのだという。
 平和だった海坂藩は再び世継ぎ抗争に揺れ始める。
 再び正妻と組んで他の世継ぎを亡き者にしようとする里村は、文四郎を呼び出して命令を告げるのだった。
 欅御殿へ行ってお子をさらってこい、と。


【感想】
 長い歳月の中小さなエピソードを積み重ね、変わりゆくもの、変わらないもの、そして受け継がれる物を描写していく作品です。
 いやいや、あらすじをまとめるのが実力不足の自分には大変でした(苦笑)。

 ふくとの淡い恋、逸平と与之助との友情など、見所は沢山ありますが一番好きなところは父との関係です。
 嵐の夜に、農民を思い、田を守るために次善の策を挙げる助左衛門の姿は文句なしに格好良いです。
 また、ところどころ助左衛門と文四郎をオーバーラップさせる演出は心憎いですね。
 父を貶めた里村との対決という構図は、ともすれば復讐劇の様相を帯びそうですが、それよりも父と己を貶めた試練に、父の残した人の輪や、己の人生で培った力で打ち克つらすとのカタルシスはとても気に入ってます。
 また好きな作品が一つ増えました。

 ただ、細かいところでは疑問点が残ります。
 例えば、里村が文四郎を旧禄に戻した事情は明確な描写がありません。
 御前試合に出るくらいの腕前だけど自分に忠実な犬飼には勝てないから、使い捨ての
鉄砲玉としてはちょうど良かったのかな?
 あと、文四郎の父が立派な人だったのは分かるけれど、ただ単に派閥争いで直属の上司が負けたために切腹になったことが義のためと言えるのかは謎です。

 うーん、映画って2時間しかないからなあ。
 原作だときちんと触れられているのか、掘り下げができているんだろうなあ。


【おたく的文脈と対比して】
 とまれ、映画で描かれた助左衛門の存在感や、受け継がれる思いというテーマは存在感を持って迫ってきます。
 また、自分が今まで触れてきたおたく的な文脈にはないアプローチに魅力を感じました。

 ガンダム富野由悠季監督の作品では、父親は自分の仕事や見栄を気にする未熟な大人が多く描かれました。
 ボトムズなどで知られる高橋良輔監督の作品では、父親は息子の前に立ちふさがり、越えるべき者として描かれています。
 これらの作品に見慣れてきた者としては、息子の生きる指針となり、死してなお導くアプローチはなかなか新鮮であり、アメリカ映画とも違う父親観の王道を見ることができたと思います*1
 社会人になり、自分の知る父親の年齢に近付くにつれ、本作の良さが分かるようになりました。
 脱オタしたいなどと自分の存在を省みないアホウな事を言うつもりは一切ありませんが、いつも観ている文化の外側にも良い物があると実感した次第です。

*1:まあ、思春期の青少年向けの作品であったり、クリエイター個々人の父親観の反映もありますが……