中途半端にリア充だから……

AKBメンに「ガチ恋」したファンが悩みを告白 | web R25 AKBメンに「ガチ恋」したファンが悩みを告白 | web R25

【1.はじめに、記事について】
 何故か彼女持ちの人の発言が多いなあ(苦笑)。
 まあ、面白い発言だけを取り上げているからかもしれないけれど、たまにコンビニの棚を見ると、並ぶ雑誌全てにAKBのメンバーが表紙を飾っているのを見るに、やらせとも、一定のフィルターをかけただけの情報とも思えないのだ。


【2.黒船! AKB】
 AKBとは、その語感とは裏腹に、最早秋葉原界隈で生きている人だけに持てはやされる存在ではなくなった。
おたくでもない者が普通に買える雑誌の表紙になっていてテレビにも普通に出演している事、『会いに行ける』という要素。そしてアニメショップやCD屋のアニメ・声優コーナーのような片隅ではなく、堂々と新星堂のような一般人向けのCD屋の店頭にPVが流れて、棚に並ぶ投票券の封入されたCD。
 一般人の空間に無秩序に解き放たれた秋葉的な愛の表現と売り方をされたアイドル、それがAKBだったのだ、と言える。
 いわば、彼女を持っているような一般人にとってはまさしく黒船的な価値観だったのだ、と思う。



【3.リア充ゆえの罠】
 記事にある人たちを見ると、女性にはあまり不自由していないようには見える。
 少なくとも将来を誓い合った彼女がいたり、女性に告白されても断るような程度には、彼らは充実している。
 たぶん今まで身近にいる現実の女性に思いを抱き、その恋愛を成功させた経験を少なからず持っている、というレベルにおいては。
 ただ、今まで目の前にいる女性に恋をして成功をして来た体験こそが、身近な場にまで浸透してきたAKBに対しては全くの無防備となり、今回のようなリア充の熱愛となって表れたのだろう。


【4.個人的な伝統と再生産】 
 勿論、ガチでおたくをやっているような者にもこのような感情を抱くような者もいるだろう。
 ただ、彼らはまた、この恋心の中にいながらも、やがてそれが自分とは厳然と線引きされた、目の前にありながらも別の世界だという事を、長年おたくをやって行くうちに知っていく。
 いくら気に入ったアイドルがいても、彼女が己の物ではない事を、自分が推しているアイドルがトップだったとしても歳月とともにその地位を後進に譲って行く事を知り、ある者は卒業し、ある者は冷めながらもその恋心を自ら楽しんでいく。

 この記事に挙げられた者はそうはならないだろう。
 おそらく今後もAKB自体は存続して行くが、彼らにまで届くアイドルはAKB以外は結局存在しえず、また彼らは推しメンをアイドルとしてではなく、現実の女性と同じ存在として認識し続ける。

 結果として、記事になった彼らは歳月とともに家庭をもち、その中でアイドルに対する忌避の感情が受け継がれる。
 いわば、家庭ごとの文化として、おたくとそれを忌避する者が再生産されるわけだ。
 リア充とおたくは違う者だから、その断絶は埋まりはしまい――。