街頭の説法はイスラームで

 新年2日目は、旧友のぱかぱか氏と一緒に新宿を手始めに、都内をぶらつきました。
 新宿駅の南口コンコースで一年ぶりのドトールのコーヒーをすすり、新南口に出ると、お馴染みの風物詩がありました。
 教会の方が、プラカードに吊るしたスピーカーからキリストの教えを放送しているのです。

狸「おお、やっているな。どうせならばクリスマスにやればさぞや雰囲気が出るだろうに」
ぱ「クリスマスもやってたよ」
狸「ほほほ〜。どんな内容? 何かスペシャルな感じだった?」
ぱ「んにゃ、今のと同じ」
狸「それはイカンなあ。むしろ、時節柄こうした内容を流すべきだ。
『クリスマスにもなって諸君等に彼女がいないのは何故か? 教会に行かないからだ!』」
ぱ「痛いな・・・・・・」
狸「『我が教会に日曜日に通えば、信仰心の篤い白百合のような貞淑な乙女との出会いがよりどりみどりである!』」
ぱ「生臭いっす・・・・・・」
狸「まあ、欧米では、マジで教会のサークル活動とかで出会いの場とかを作っているらしい。『産めよ増やせよ地に満ちよ』が聖書の言葉ならば、利に適っているな。
 しかし!」
ぱ「しかし?」
狸「やっぱ街頭演説ならばイスラームが今の時代に適しているな!」
ぱ「マジか!」
狸「うむ。イスラーム共同体はザカート(喜捨)を貧しい人に配るからな。今の格差社会にはぴったりだ。
 数年前見たNHKのドキュメンタリーであっったんだが、夫が心にもない離婚を3回口にした場合は、女性はウラマー(法学者)に訴え出て、夫に離婚を取り消させるために貧しい人に施しをさせたという」
ぱ「その施しはどこ経由で?」
狸「たぶんモスクかなあ」
ぱ「絶対中の人が着服しそうだな・・・・・・」
狸「まあ、税金という公共の富を分配する役人に給料が必要なように、イスラーム法学者や聖職者といえ、霞を食べて生きていくわけには行かないからなあ。
 しかし、ほかにも魅力的なキャンペーンはあるぞ。
 ウンマ(イスラームの信仰共同体)特別価格で産油国直輸入の灯油をお宅に直送! 家計に優しくおうちポカポカ! とかどうだ!*1

 ついでに言えば、4人まで妻帯できるムスリム(イスラーム信徒の男性形)のモテテクニックを使えばたちどころにリア充に! とか、3人のライバルを出し抜け! ムスリマ(イスラーム信徒の女性形)の愛されテクとか受けそうに思うのですが、どうでしょうか*2

 そんな事をつらつらと話しあっている内に、花園神社の鳥居をくぐりました。
 ビルからの室外機の風が吹き荒れる銀杏並木の参道を抜け、境内を見ると、石畳の上には果てしない行列が。
ぱ「どうする?」
狸「これはアカン。祭神様よりも風邪という疫病神に愛されそうだ」
ぱ「おみくじだけ引いていかない? わし毎年これだけはやっているんだ」
狸「うむ」
 社殿の脇にある社務所で100円を払い、わしとぱかぱか氏は退散になりました。
狸「ううむ、まるでアニメ本編はみないけれど、声優のCDや同人誌だけは買うような行動だな」
ぱ「確かに!」

 まあ、様々な宗教が身近にありながらも、それを許容し、きちんと帰依もしない日本人らしさが現れているような一幕でした。
 ただ、今の日本ではあまり身近ではないイスラームにもう少しポジティブな関心を持ってくれる人が増えたらいいなと思いますです。
 文化的にはなじみも少ない地域ではありますが、AKBの国際姉妹ユニットであるJKTが結成されたインドネシアもまたイスラーム国であります。
 イスラーム圏にも日本のおたく文化が広まり、熱狂するファンがいるとすれば、それは何とも素敵な事ではないか、と思います。
 2011年は東日本大震災、ユーロ危機と様々な不幸な事がありましたが、一方で民主化デモによる独裁者の打倒という輝かしい偉業を成し遂げたのは彼らイスラーム圏なのですから。

 そんなことを思いながら、二人で秋葉原へと向かいました。

*1:トルコやアフガニスタン、ドバイの例を見ればわかるように、全てのイスラーム圏が産油国というわけではない。ちと世間の偏見を活かした宣伝でした。

*2:ただし、トルコのような世俗国家では人口の大半をムスリムが占めていても、法律上男性がめとれる妻女は一人だけだし、4人の妻を囲えるほど、全てのムスリムが豊かな訳ではないっす。