上杉謙信を勉強し直したくなった

【1.読書、それは発見の時】
 最近『名刀 その由来と伝説』て本を読んでいます。
 日本の歴史や伝説に残る50振りの刀剣について、いわれやエピソードを分かりやすくまとめた本なんですな。
 きちんとしたレビューはこれから書きますが、その中で気になる描写があったんですな。
 とは言っても、内容は刀剣に関する物ではなくて、その周辺の物。
 上杉謙信武田信玄にまつわる有名なお話です。


【2.敵に塩を送る】
 北信濃一帯をほぼ領有した信玄は、上洛への足がかりとして、永禄11年(1568年)に東海道に進出します。
 それまで同盟関係を結んでいた今川氏が桶狭間の戦い(1560年)で先代当主の義元を失って以来弱体化していたことを見越しての行動でした。
 今川氏は、武田氏と並んで三国同盟を結んでいた北条氏に支援を求め、駿河・相模の太平洋岸から甲斐へ塩を運ぶ道を全て封鎖してまいます。

 ここで有名な上杉謙信の『敵に塩を送る』のエピソードがでてくる訳ですが、本書の書きっぷりに目から鱗が落ちました。

『この卑怯な作戦を「不勇不義」と見なした謙信は、日本海側に塩を求めた武田方の荷駄を一切妨害せず、越後領内の通過を黙認した』
 
 『敵に塩を送る』という字面と、子供の頃読んだ歴史マンガのワンシーンから、謙信が信玄にそのまま塩を送っていたように勘違いしていたのですが、実際にはただの交易ルートの確保だったようですね。
 ともすると、『敵に塩を送』った背景も実際にはかなり違う物になるのかもしれません。

 まず考えられるのが、経済活動の見地です。
 今まで武田とは争ってきましたが、安定した交易ルートの確保(近代の国民国家の戦争とは違いますから、民間レベルでは領主が紛争をしていても交易していた可能性はあります)ができます。
 そして甲斐ー信濃の住民全てが越後の塩の顧客になるわけです。競合する他国もないわけですから、価格競争も緩やかな独占的な体制を敷け、かなりの利益を上げられたのではないでしょうか。

 また、今まで敵だった武田を滅ぼさずに、塩を売るのも安全保障からは理にかなっています。
 川中島で何度も争った上杉と武田ですが、この時の信玄の関心は前述の通り東海道に向かっていました。
 うかつにここで、長年のライバルを倒すために日本海からの塩を絶てば、また戦いになり、戦費や人材の浪費になるでしょう。
 もともと川中島の戦い自体が、信玄に追われた信濃の領主の嘆願と、越後まで領土野心が広がることを恐れるドミノ理論に基づいていることを考えれば、信玄がこれ以上北上しなければ問題は解決です。

 うーん、案外謙信て腹黒いのかも知れない……。
 そういえば、謙信といえば、忘れてはいけない要素があります。
 彼は生涯『不犯』と言って、妻を娶らなかったのです。
 そのくせ、結構女性と仲良くしていたりと不思議なところがあり、そのせいで女性説も唱えられているくらいです。

 ただ、どうせならば思い切って、私ならば別の説を唱えますね。
上杉謙信ヘタレ』説!
 ハーレム物ライトノベルの主人公のように女性には囲まれるけれど、キメる時キメれなかった(結婚しなかった)上杉謙信てなんだか親近感が湧いてきます。
 やや腹黒いところもツボですね。
 それこそ謙信をルルーシュみたいに格好良さと悪さを併せもたせた作品とかあればいいなあ。
 ……と妄想するここ最近です。


【3.虚実入り交じって】
 さて、ここまで書いていてあれなのですが、Wikipediaを読んでみた限りだと、『敵に塩を送る』行為については伝説レベルで、資料的な裏付けがないようです。
 実際には、川中島の戦いも終息し、上杉と武田の融和ムードから、塩の交易路が確保でき、そこから信玄の東海道攻めが始まったのではないか愚考します。
 それくらいの計算とリアリズムがないと戦国の世は生きていけないと思うのですが、いかがな物でしょうか?
 んな訳で、自分の妄想の裏付けをとる意味でも、子供の歴史マンガから先に出たリアリズムと裏付けを持った視点で上杉謙信武田信玄を勉強したくなった次第ですね。