名刀 その由来と伝説

【1.はじめに】
 刀というと、やはりオトコノコの憧れでしょう。
 美しい輝きと優美な曲線を持ちながらも、硬さとしなやかさを併せ持つべく複雑な鍛造工程を経た刃は、実戦では恐るべき威力を誇ります。
 こんな武器を手にして振るってみたいと、オトコノコならば一度は夢想したはずです。

 ただ、私のように地味に日本史を勉強していると、政治的なシチュエーションに由来する合戦とか、軍事的な革新とかが主体になり、どう初心の憧れを失ってしまうんですな。

 まあ、やはり歴史の大きな流れは個人が制御しきれるものではなく、歴史上の偉人でも、基本的に他者を管理して業績を成し遂げるものです。
 学んでいく内に刀は博物館で見かける宝物でしかなくなっていきました。
 が、藤沢周平の作品との出会いもあり、興味が再燃してきました。
 んなわけで、出版から少々歳月が経ちましたが、本書と再会したとき、迷わず購入に踏み切りました。


【2.名刀、その威力と隠された実力】
 さて、本書は神話の時代から江戸時代まで50振りの名刀について、そのいわれから来歴までを簡単にまとめた新書であります。

 皇位や将軍の位の継承や、天皇の命令で武力行使をする者に下賜されるなど象徴的な刀剣から、歴史上の人物が重要な局面ではい用していた刀など様々な刀剣が登場しますが、印象に残るのは、刀の威力そのものです。
 台所の棚下に隠れた茶坊主を棚ごと斬ったというへしきり長谷部、火縄銃を両断したという鉄砲切り助真、兜の鉢を割ったという本庄正宗ーー。
 斬ったシチュエーションの背景にある人物や、合戦に対する逸話など、なかなか読ませるエピソードが多いです。

 こうしたエピソードの裏を追っていくと、興味深い事実が浮かび上がってきます。
 実戦で用いられる機会が一番の多かったのはやはり戦国時代ですが、逸話を残している刀のほとんどが、平安から鎌倉の時代に作られた古い刀なのです。
 戦国時代と言えば、作刀も盛んだったと思います。
 4-500年前の刀と言えば、文化財として大切に保管すべきとも思うのですが、武将たちは惜しげもなく、長尺の刀を使いやすく磨り上げ(短縮加工)を施し、そして実戦で戦果を挙げているのです。
 きちんとメンテナンスすれば、ひじょうに長い期間にわたって切れ味を保てるのも、日本刀の特徴と言えそうです。
 凄いものになると、鬼を斬ったという逸話を持つ童子切安綱などは、作刀から900年後の江戸時代に罪人の胴を6体重ねた状態で断ち切り、土壇にまで刀身が食い込んだという逸話が残されています。

 まずは信頼に足る実用品である事が第一で、それゆえに大事にされ、長く伝えられたという事なのでしょうね。


【3.伝来させる苦労】
 伝えると言えば、メンテナンス以外にももう一つ苦労があります。
 価値のある物だけに、戦利品として取り上げる者や権力者から刀を守らないといけない訳です。
 九州の大友家が足利将軍家に献上した薙刀骨喰み藤四郎などは、足利義輝を暗殺した松永久秀によって奪取されましたが、大友家子孫の宗麟によって久秀から買い戻されました。

 斬られた敵がしばらく川を泳いで逃げてから首が落ちたという伝説を持つ波泳ぎ兼光を伝える柳河藩立花家は、徳川将軍家に献上させられる事を恐れ、八代将軍吉宗が幾度上覧を所望しても断っていたそうです。
 立花家は外様の大名でした。下手をすると改易やお取り潰しにもなりかねないような行為ですが、そこまでして守りたかったのでしょう。


【4.実用品ゆえのリアル】
 さて、伝来の実用品という側面でいうともう一つ。
 名刀のいわれというと、現代のように科学もメディアも発達していない時代のため、内容に若干信憑性も疑われるものです。
 鬼や山蜘蛛を斬ったり、果ては女の幽霊を斬ったとか、様々な眉唾伝説があるわけですが、そこには一定のリアリズムがあります。
 例えばアニメ・ゲーム的な、ビームや炎が出てきたりとかはありません。
 刀の威力は、あくまでどれだけ凄い物を斬ったかで担保され、それ以上の付加的な攻撃力は付与されていません。
 また、日本人の価値観として『物には魂がある』という言葉がありますが、刀の精霊が出てきたりした例はなく、人が手に取らずに自動的に鬼を斬ったという逸話は一例くらいしか収録されていませんでした。
 名刀といえど、あくまで人間が使わなければ威力を発揮しない『道具』としてのリアリズムを伝承が保っているのは意外でした。

 刀に関わったかつての日本人の思いや態度、切り開いてきた歴史を見ることができる一冊でした。
 大いに気に入ったらしく、読み終わる頃には。225ページの新書に10枚くらい付箋を貼っていました(苦笑)。