映画との距離


今週のお題「人に薦めたい映画 」

【1.一般人とのギャップ】
 先日会社の先輩が、蔦屋書店のビニールを持って歩いているのを見かけました。
 珍しい光景ですし、本好きとしてはどんな本を読んでいるのか気になるので、声をかけてみました。
先「石ちゃんが会社に来ていたので、サインを貰ってました!」
狸「石ちゃん?……石ちゃんと言えばあの?」
先「ホンジャマカ石ちゃんですよ」
 石ちゃんと言われると何となくイメージがわきますが、ホンジャマカという単語がよく理解できません。
 首をひねっていると、
先「たぬきさん、テレビはあんまり見ないんですね」
 との事。
狸「いやいや、テレビはよく見ますよ。ただ、NHKばっかりで」
先「NHKにも出ていたような……」
狸「ああ、それが海外ニュースと教養番組くらいしかみないんすよ。
 夢にプーチン大統領が出てくることはあっても芸能人は分からんすね〜」
先「なるほど〜」
 いやいや、こういう時、ちょっと変わった奴として知られていると、コミュニケーションが楽ですね。


【2.映画でござる】
 こんな私ですので、映画館にわざわざ足を運ぶとなると、ほぼアニメくらいしかありませんが、それを世間では映画と言いません。
 また、私の感覚でもアニメは映画なんて2時間の枠ではなく、最低6本のOVA分の長さがあって初めてまともな作品になるものです。
 ただ、そんな私でも何本か好きな映画がありますが、ジャンルが偏っているんだよなあ。


【3.時代劇とSF】
たそがれ清兵衛
 私が好きな藤沢周平の作品の映画化。さえない侍の清兵衛が青春を過ぎた年齢で初恋の人と再会したり、意外な剣の腕を振るう姿に共感と爽快感を覚えます。

蝉しぐれ
 これまた藤沢作品の映画化。
 原作で大事なところが結構省略されているのですが、それでも好きです。
 尊敬する父に汚名を着せられ、苦労した少年が大人になり、父の仇である悪家老のたくらみを破る爽快感と、淡い初恋が付きまといながらもほろ苦いエンディングが『人生』って感じです。 

光の旅人
 アメリカのニューヨークの精神病院に、自らを宇宙人だと名乗る男プロートが収容される。プロートの主治医となったパウエルは、彼の治療にあたるが、人類の問題をすべて解決した理想郷K-PAXに魅かれていく――。
 いやいや、この理想郷K-PAXの姿と、プロートによってパウエルも他の患者も癒されながら、やがてプロートの背負っていた物が明らかになっていくはかないストーリが希望と哀愁を誘います。


【4.最後に】
 総じて言えるのが、ここではないどこか・今ではないいつかが描かれている作品が好きですね。
 さて、夢の中は、プーチン大統領は、高校の男子トイレで私の隣で用をたしながら、
「何でロシアって嫌われるんだと思う?」
 と日本語で話しかけてくる友達みたいな役割でしたが、教養番組の教授から講義を受けたり、女子アナといちゃつくような夢とはついぞ見ませんでした。
 プーチンがちょうど、ここではないどこかや、領土問題が今ではない時代に根差しているから、自分の好きな距離感に近いのかもしれません。

 『映画というものは現実につかれている人がパーッと見て、ストレスを解消できるものでなければいけません』というのは、逆襲のシャアの小説版で富野監督が書いていたことではあります。島田雅彦が『文学とは、人類の知恵と愚かしさを描く物である』と言っていました。
 私自身は映画の中で、社会や現実の愚かしさの中で悪戦苦闘して知恵を絞り、一つの道を見つけ出す人々の姿に共感や感動を抱きます。ただ、描く痛みがリアルであっても、ある程度の脱臭化がされていると、休みの日に足を運ぶ気分になりますよね。
 さじ加減が合う作品はなかなか少ないものですが、だからこそ貴重です。
 いい作品と出会うために、また映画館やレンタルビデオ店に足を運びたいものです。