お金はいかんぜよ
ひと時の温情に流されると、その時非情になれなかった何倍もかけて取り立てないといけなくなります。
祖父の兄貴は2代かけて祖父に借りた金を返しおおせた。
学生時代の奨学金も未納年金もきちんと納めた身としては、金を返すことはごく当たり前の事だと認識して、とある人に金を貸したのだけど、これがよくなかったですね。
あらゆる理由をならべて、できない事を人のせいにして、社会人としてありえない理由を次々と並べ立て、説明責任も果たさない。
たぶん自分が例外なく一番可哀想と思っているのか、貸した相手を舐めてしまうんでしょうねえ。
国内のアンケートだけど、下記の引用は秀逸でしたね。
『米経済心理学の学会誌に掲載された、個人的な《お金》の貸し借りを友人間で行った場合の調査結果によれば、借金を滞納する借り手側は“借金はギフトであった”と都合よく脳内変換する傾向にあるそう。一方の貸し手側は返済の遅れや未払いを指摘することは少なく、返済を滞納する相手への不信感を強め、結果として友人関係が瓦解する…とあります』
ギフトであってなるものか。
こちらが失った利息と機会の分まで相手に負担させて、取り立ての心配をした分だけ、相手の魂には対価を刻み込まなければなりますまい。
『結果として友人関係が瓦解する…とあります。調査を担当したローウェンステイン教授は、最悪の事態を招かないためにも友人関係であれ借用書を作成し返済期日を明確にしておく必要がある』
最悪の事態か。
たぶんこの教授の警告する最悪と、今の私が考える最悪は決定的に違う。
それが金を貸すという事だ。