悲哀の痛いニュース

痛いニュース(ノ∀`) : 無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書 - ライブドアブログ 痛いニュース(ノ∀`) : 無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書 - ライブドアブログ

【1.厄介なじいさん】
 おいらこの記事に付いているコメントとほぼ同じような事は思ってしまうのだけど、同時にここまで叩かなければいけないのか、と疑問を感じてもしまう。

 そりゃ確かにこの爺さんはうざい。
 他の方が黙って立っているだろう中、指定料金まで払わないと乗れないグリーン車に行って他人様の座席を『空いてますか』というのは非常識極まりない。もう少し物の言い方もありそうだ。
 自由席だって『空いてますか』はない。

 犬を座席に載せるのいささか行き過ぎな気もするが、女性の体格では網棚に載せるのは大変な気もするし、変に高い場所やすぐに様子が見えない場所において吠えたりして周囲のご迷惑になったら大変だ。車外だったらリードを付けて運ばずに済むだろうけれど、犬が多少暴れても大丈夫な強度があるはずだろうからバスケットだって結構重い。
 子供だって、就学前とはいえやはり女性の体格で膝の上に載せるのは大変だろうし、やんちゃな盛りの子供を連れているんだ、そりゃ疲れている。
 結局のところ、弱者により弱者を主張して譲らせたというところが嫌がられているところなのだけど、そこでふと思うのだ。
 お年寄りに席を譲るのは日本人の美徳なのではなかったのか、と。
 ここに書かれた女性たち以外のその他大勢の方がその時どうしてたのかが気になる。


【2.掲載紙に対するバイアス】
 ついているコメントにはこれだから朝日新聞は、との書き方もあるけれど、いやいや、朝日だって読者層は様々だよ。
 原発を今すぐ止めろっていう投書もあれば、使い続けようという投書だって載せる。
 もちろん朝日は朝日であって読売じゃないし、ネットユーザーが一番信用する産経新聞じゃないけどさ、これが保守系の新聞に掲載された投書だったら『最近の若者はなっとらん』とか、『老人を尊敬できない小娘どもが』みたいな捉え方もできたんじゃないだろうか。

 まあ、自分に対する善意を強要したりするのは大人げないし、譲れる方は皆譲った後だったかもしれない。
 ただ、なあ。
 あからさまに叩き一辺倒な反応はどうかと思う。


【3.経済危機と心の豊かさ】
 大学のサークルで京都に旅行に行った私はとある寺社仏閣でこんな立札を見た。
『今日の日本の発展に貢献された60歳以上の方は拝観料を無料とします』
 これこそが敬老の精神ではなかったか。
 あれから10年経ち、今や『失われた10年』は20年に到達し、あの頃言われていた少子高齢化は解消される事もなく、年金問題はより深刻さを増している。
 年寄りを尊敬する社会の風潮は失われつつある。
 だから、このスレで言われているように『老害』や『金持ちジジイ』という単語が出てくる。

 ただ、どうなんだろうね。NHKでやっていた番組くらいしかソースがなくて申し訳ないのだけど、明治初期に日本を旅した外国人たちは、口々に日本人は貧しくても心が豊かで優しい人々だったと言っていた。
 経済的なシュリンクや未来が見えない状況もあるだろうけれど、明治の外国人達が見た日本と今の日本は大分違うのではないか。

 いつしか日本人の心の豊かさは経済的な豊かさがないと成り立たない物に変化していたのだろうか。
 投稿者もそうだし、このニュースにまつわる人々も、何だか悲しいし、もちろん私も例外ではない。
 確かに新聞が掲載するわけだ。
 今の日本の哀しみがそこはかとなく漂っている。