最近見たアニメととある青年の事


 最近とあるアニメの総集編を劇場版でやっていて、映画館に観に行った。
 本放送は観ていなかったのだけど、観ると登場人物の感情がすごい赤裸々でも綺麗で、画面につられてすごい泣きそうになった。
 善意や思いが人を傷つけたり、自分の弱さと向き合って吐き出して、前に進むために痛みと向き合う姿はかなり来るものがあったんですな。

 で、それとは別件で、昨年の春から秋にかけて2クールで放送されて放送時ヒットしていたとあるアニメを今やっと消化中であります。
 原作自体は10年くらい前の作品で、何回か読んでいたのだけど、まさかここまで面白かったとは! と途中でシリーズを追うのを止めた自分自身を悔やんだわけですが、ふととある事を思い出しました。
 そういえば、自分自身がこのシリーズや作者の作品を追うのをやめた後で出会った人物で、この作者の作品を好きな青年がいたな、と。
 彼自身は良く泣ける作品が好きだと言っていましたが、そうするとあのアニメも観ていたのかもしれない。
 青年は年下だったけど、まあこうして離れて数年たって彼の作品への趣味と同じ軌道に一時的に乗ったと考えると面白いし、今見ているのが彼の趣味ならばなかなかいい趣味をしていたんだな、と感じもした。

 趣味は良かった。しかし過去形と遠いフォーカスで語っている事からお察しいただけるかもしれないが、青年はとある問題となる行動を起こしてしまっているし、私ともボタンのかけ違いから今は友達ともいえない状態になっている事だ。
 喧嘩に関しては五十歩百歩だから私はとやかく言う権利を持っていないが、問題となった行動に関しては弁護が難しい事件となってしまっている。
 美味い飯だけを食べていれば人間全員が大成できるわけではないように、人間は趣味だけを極めてもうまく行かないらしい。
 少なくとも、最近私が心を動かされた二作品は、そこそこ成熟していないと楽しめない物だと思う。
 だけど、世の中にはあの青年以外にも、いい趣味をしているのに信じられないほど社会常識を欠いた人というのは何人もいるのだ。

 顧客や仕事にいたぶられるたびに仕事を辞めたいと思う事があるものだけど、ここで踏み止まっている事で彼らの事をそう考えられるのかもしれないし、彼ら・彼女らがいい趣味をすぐに持てたという“才能”も、歳月を重ねた人生の経験で追いつけるものなのかもしれない。
 金曜日の夜、仕事を終えた疲労と解放感にふとそんな事を思った――。
 まあ、もちろん今までの自分の趣味も悪い物だとは思っていないので、放棄するつもりはないです、念のため。