魔法使いと、とんでもない物



ゴールデンウィーク進行という奴だろうか。
滞留していた案件、その他の案件も怒涛の勢いでおしまいにし、2日の金曜日に仕事を終わらせた。
安堵で気が抜けた私は、愛用の目覚まし時計の乾電池が外れかけていた事に気付かずに、ゴールデンウィーク後半の土曜日の朝に目を覚ました。予定より一時間の寝坊である。
この日は東京行きの飛行機に乗るはずだったが、空港への直通バスではなく、タクシーと電車の組み合わせという慌ただしい出発になった。まあ、いつも通りの東日本への旅路とも言える。

暖かい季節の宮崎空港にはアロハシャツや麻のスーツで身を固めたバカンス気分の観光客がいるのに、当の県民である私は季節外れの姿をさらしていた。
4月末から宮崎は暖かいが、長野と東京の夜は寒いはずだ。
ボトムスは冬ズボンにして、上は下着の上に七分丈のTシャツに冬用のシャツを羽織ったの私は外国人にでもなった気分だった。

搭乗手続きを済ませ、飛行機の左の窓際の席に着くと、意外な事が分かった。
私の右隣は若い女性だった。
彼女は通路際の子供連れの女性と挨拶すると、前の座席の下にバッグをしまい、真新しいつば広の麦わら帽子をちょこんと上に載せた。
ふむ。
離陸の光景を楽しむと、私は藤沢周平の「蝉しぐれ」を広げて読んでいると、視界の隅でネイルもしていない、自然なままの指先が複雑なドイツ語や図を書いていくのが目についた。隣の女性はどうやら勉強中らしかった。

映画とドラマで何回か見たが、「蝉しぐれ」の原作を読むのは2回目になる。未来の定まらぬ思春期の中、分かれて行く友人たちの進路と、そして過酷な運命に感じ入る頃には、飛行機は室戸岬沖を通り過ぎていた。
ふと周りを見渡すと、乗客の多くは眠りに就いたようだった。
隣の女性も例外ではなかった。少し開いた口は、寝ている証拠だろう。
悪いな、と思いながらも見てしまう。
耳たぶにはピアスもその痕もない。
すらりとした腕はやや日焼けし、日がある内には屋外に出られ、多少の日差しは気にしなくてもいい年齢がうかがえた。
魔法使いでも、それ位はわかる程度の知識は積める。
10歳、下手をすると15も年下の少女。ルパンとクラリスくらいの年齢の開きがあるが、ルパンほど素敵なおじさまでもない私は劣等感を覚えた。
若くして仕事が出来たり、成功できる人というのは間違いなくいる。
それを裏付けるのは努力と才能という奴だが、彼女は少なくとも前者を持っているわけだ。
藤沢先生の本は間違いなく傑作だし、読んでいて社会や人生について深く感じさせられる物だが、仕掛中の資格に受かってからでも良かったかもしれないな。
飛行機は富士山に差し掛かり、機内のアナウンスで彼女は私の奥にある窓を見つめた。彼女の視界を妨げないような姿勢を保ちながら私も外の風景を楽しみ、せめてもの敬意を払った。

静岡から羽田は短い。ほどなくして飛行機は羽田空港に着陸した。
荷物棚にある荷物を取りにくそうにしてる彼女に代わって取って渡したら、「ありがとうございます」といってくれた。目を細くしてにっこりした表情は、無邪気で眩しかった。
「いやいや、どういたしまして」
 答礼をした私は、飛行機を後にした。
 ひと時のとんでもない物を手に入れたな、と思いながら。