遠くて近い思い出


高校一年生になった時、地元の駅前に大型書店が開店した。
大型書店と言うと大抵は全国的なチェーン店とかが大半な物だが、その店は私の地元一店舗くらいしかないという妙な代物だった。

類は友を呼ぶもので、友達もおらず思春期を持て余していた私はその本屋の常連になったのはごく自然な流れだった。
品揃えもいいし、店員の本を紹介する手書きのポップで何冊も素敵な出会いをさせてもらった。立ち読みと散財というまあパチンコ屋とスロ中みたいな損得を共にするような関係を続けさせてもらうのは、どこの書店と本好きでも似たようなものかもしれない。

ただでも楽しいし、お金を払えばもっと楽しい。
本以外でそれを実感できるのは、たまに琴線に触れるような女性がレジに立っている時だった。
書店の店員と言えば、やはりアルバイトなのだろう。
一年ごとに変わっていく彼女たちと間近で事務的な言葉を交わしながら、何となく名前と顔を覚え、今年は誰が一番気に入ったとかたまに日記に書いていたのは黒歴史……というよりはまあ思春期ならではの思い出というやつですな。
そんな十数年続いた書店との関係も転職で東京を離れることになり、ふっつりと途切れていった。

何となく書く気になったのは、このゴールデンウィークに帰郷したからだった。
宮崎へのバスと飛行機で読む本がない事に気付いた私は藤沢周平の本を求めて、電車が出る前に馴染のその店を訪れた。
隠し剣秋風抄を手にレジに向かうと、そこには意外な人がいた。
女性にしては高い背に、短くそろえられた髪、白い肌、眼鏡の奥の優しげな目線。
誰あろう、何年か前に日記に書いたお気に入りの店員さんだった。
宮崎とは違い、何も言わなくてもカバーを付けるように申し出てもらえるのは、電車や待ち合わせで本を読むことが多い東京ならではだ。
ポイントカードを差し出すと、彼女はカードの有効期限が切れている事を告げ、登録し直す必要がある事を告げた。
「住所のところは郵便番号を書くだけでいいですから」
1からはじまる東京の物ではなく、8から始まる郵便番号に何か言われるかと思ったが、特に何事もなく、何年か前と同じように、カバーがされた本とカードを受け取り、私は店を後にした。
ふと、あの人の中では、しばらく来なかった客がポイントが無効になった悪ふざけに郵便番号を書いたと思われたのか、特に記憶に残らない客だったのか、どちらかなのだろうかと思いながら、中央線の改札を通り抜けた。

まあ、どちらでも良い。
歳月と空間を経てなおも故郷の思い出と今は、まぎれもない地続きだったのだから。
GW休暇最後の日のささやかなデジャブを胸に、私は電車のドアをくぐり、宮崎へ向かったのだった。