BS歴史館で平将門特集を見た

 直球そのもののタイトルでアレなんですが、昨晩放送されていたから見たんですな。
 で、見て驚いたのは予想外に平将門って、南九州の英雄・西郷隆盛と近しい物があるって事でした。

 一つは、武勇に優れている事。
 将門は最期を除き、戦いに関しては負け知らずでした。西郷も官軍の司令官でした。

 一つは、敵対する者を取り込む魅力。
 将門は承平5年の源護・扶父子による襲撃に始まり、坂東平氏の他の一族と争い、検非違使庁で詰問を受けますが、無罪放免にされます。承平7年には逆に一門の平良兼・貞盛を追討する太政官符を得ます。
 西郷は勝海舟との会談で江戸城無血開城を実現し、戊辰戦争でも旧幕府側の鶴岡藩に対して寛大な処置を取り、心を掴みます。
 後年の西南戦争でも勝は西郷に同情的、旧鶴岡藩士も西郷に味方できないかと考えていたようです。

 最後は辺境にあって、勢いで祭り上げられて反乱を起こした事です。
 将門が反乱を起こすきっかけになったのは、藤原玄明という犯罪者を匿い、彼の追捕令の撤回を求めて常陸国府を囲んだところ戦いになり勝利の上印綬を没収した事でした。側近の興世王の一国を討った罪は軽くない、こうなったら関東を手に入れて様子を見ようという勧めに乗り、彼は反乱に乗り出し関東八州を占領したのです。
 西郷も、明治政府の『西郷を「シサツ」せよ』という命令を誤読して火薬庫を襲った私学校の生徒に祭り上げられ、明治政府を意図を確認するためという名目には不必要な兵を率いて熊本城で戦火を交え、宮崎、鹿児島と南九州地方を転戦しました。

 さて、将門は武士の走りと言われ、西南戦争は最後の士族の反乱でありました。
 武士の最初と最後を飾った人物がこうして似通っているのは何か歴史の皮肉に思えてなりません。
 武士とはもともと在地の開発領主が武装集団化したものだと言われています。
 中央を主体とするナショナリズムに対するパトリオティズム(郷土愛)こそが武士の原動力だからこそ、その最初と最後は反乱に彩られ、戦闘集団らしい華々しさと儚さに彩られているのでしょう。