白石蔵王紀行その2

senri_gusuku2014-08-13

【1.蔵王町、そして仙台】
 やれどもやれども終わらない。
 何がというと、蔵王町文化ホールでのメモ取りだった。宮崎から宮城。名前は似ているが、その間の距離は果てしなく遠く、そして企画展は一期一会である。ともすると、得られる知識は全てメモをする必要があるけれど、これが曲者だった。
 仕事以外の趣味では向学の志を持ち続ける私だけれども、朝6時に起きて5時間の移動の末にたどり着いた場所では頭も体もなかなか働かない。
 地元の名産である清爽牛を使ったハンバーグのロコモコ丼がいかに美味しくても、自販機のカフェオレを2杯がぶ飲みしても、こればかりはどうしようもないものだ。

 翌日のリターンマッチを誓った私は、蔵王町文化ホールから仙台駅への直通のバスに乗り込むとたちどころに眠りの世界に引きずり込まれた。夢うつつながらも下車するとき、往復切符で決済して翌日に備えたのは我ながらあっぱれと言えよう。

 駅前の東横インにチェックインして休憩の後、某外資系企業の仙台のセンターに転職したかつての同僚と夕食を共にした。
 仕事でちと行き詰まりや先行きの不安を感じていたのだが、こちらもなかなか厳しいようだった。
 牛タン丼に舌鼓を打ち、日本酒のほろ酔いに盛り上がりながらも、現実という物は苦みを与えてくれる。だから抗うしかない。

 仙台駅の改札口で固く握手を交わした私は、安らぎと再会の高揚の中、ホテルで今度こそ眠りに就いた。


【2.さらば、仙台】
 明けて13日。私は東横インを十時前にチェックアウトすると、足早に駅前を目指した。
 蔵王町行きのバスは10時18分発。だが、その前の18分間で果たさなければいけない目的があった。
 シャッターが開かれて間もない駅前のジュンク堂書店に飛び込んで、店員に郷土史のコーナーの場所を聞く。
 目的の本は……あった!

 今回の企画展で取り上げられている真田喜平太の伝記。これがあれば、今日はメモ取りを継続する必要はないかもしれない。が、書けば気付くことは間違いなくあるはずだ。レジで包装してもらった本を手に、バスへ駆け込み再び蔵王町へ向かった。
 青葉城宮城県立博物館や松島に未練はある。あるのだが――、中途半端はよくない。駅前には身動きが取れないほど停められたタクシー、そして南北だけではなく東西にもこれから地下鉄が走る栄えた街並みを目に焼き付けた。これだけ栄えているのに5ナンバーのセダン型である初代プリウスが現役のタクシーとして走っているのが印象に残っている。バスが郊外に出ると早速私は買った本のページを開いたのだった。


【3.蔵王町白石市再び】
 蔵王町文化ホールでのメモ取りは、一時間と少しで終わった。今度は在来線の白石駅行きのバスに乗り込み、これまた一時間のバスの旅の後、白石駅前に到着。

 時間は昼時だ。昨日はバスの乗り継ぎの関係で食べられなかった白石名物の温麺(うーめん)を食べる事にする。
 普通のめんつゆとごまだれ、くるみだれ(これも東日本の山間部や寒冷地の産物だ)を楽しみながら、鶏ハムまでいただいた。実にうまい。

 腹を満たした私が目指すは白石城。江戸時代の一国一城令の例外として伊達の領国に青葉城以外に残されたもう一つの城郭だ。
 薩摩藩の外城群や熊本藩の八代城と同格にカテゴライズされる史跡である。


 城自体は最近になって再建された大手門と天守があるだけだが、それゆえに名古屋城大阪城のようなコンクリート造りの人工的な感覚とは無縁で、木材をふんだんに使っていて気分がいい。



 地方や史跡に求めるのはこうしたオーガニックなものだ。欲を言うのならば、天守はシンボライズされた建物で実際の政治の場ではないし、実際は豪華な内装が施されていたかもしれない。本丸御殿も再建すれば、普段の日常も偲ばれるし、そこが歴史資料館ならば満足度は高いのだけど、さすがにぜいたくという物だろう。
 資料館も内容は質素なもので、発展途上なのか、歴史シアターがメインの出し物のようで、今後より充実していってほしいものだ。



 資料館のコインロッカーに荷物を預けて武家屋敷も楽しんだところで、午後5時になり、私は帰路についた。

 新幹線のシートに腰かけると、疲れと共に今回の旅の満足感が押し寄せてきた。また次に来る時は、白石蔵王の未踏の地を制覇しようか、それとも今度こそ青葉城を訪れるか。なかなか訪れられないが、親しみを覚える場所がまた一つ増えたのは楽しいものだ。